5月の帰省
GWに帰れなかった為、時期を少しずらして帰省。
数ヶ月ぶりの両親だったが、自分も良い年齢になってるにも関わらず、本当に優しかった。
自分のメンタル面の打たれ弱さはここにあるんだな…笑
改めて思った、普通に感じていた自分の家での生活、両親が与えてくれていた環境がいかなる困難の上に成りっていたのかと言う事を。
時代も違うし景気も様子が違ったとは思うけど、それにしても先行きが見えず不安な中で戦っていたのは今も当時も変わらないだろう。
おれも本当に良い歳なのにな…
毎回実家を出る時は本当に辛くなる。
そして今回は、過去何年振りかってぐらいの辛さを感じた。
(帰省直前の勤務でデカいトラブルが発生したのと、こっちでのプライベートで楽しみな予定が作れていないのと、単純に仕事がダメなのとが原因か)
実家を離れるとき、見えなくなるまで母が見送ってくれていた。
この光景は、自分が幼少期、祖父母がまだ家にいた頃、夏休みとかで両親と帰省したときにも見た光景。
当時は家族の立ち位置が違って、自分はクルマの後部座席、運転席に父、助手席に母、お見送りは祖父母。
今日の母と同じように、家の前でじいちゃんばあちゃんが、見えなくなるまで手を振って見送ってくれていた。
いまはじいちゃんは亡くなり、ばあちゃんは病院。実家も両親が引き継ぎ、自分は独り立ち。
各家族メンバーの立ち位置が一段変わったんだな、と思いつつ、自分には後部座席に乗せる家族もおらず情け無いな、とも思いつつ。
こんな歳になっても変わらず愛情を注いでくれる両親の存在を改めて有り難く感じた。
そんな甘々に甘やかされた週末の思い出に後ろ髪を引かれながら、地獄の横浜へ。
きっと一般的には、そんな地獄なんて表現する程の状況でも無いんだろうな…
打たれ弱い自分には本当に辛く感じてしまう。
プライベートが楽しくないから?
仕事で小さくても成功体験が積めないから?
先行きが不透明だから?
じゃあ戦争に駆り出された昔の人はどうしていたんだろう、とふと思った。
まず間違いなく生きては帰って来れない。小さな楽しみもまずないだろう。敵兵を倒し国に貢献することが喜び?そう思い込めていた人はそこを手掛かりに頑張れたんだろうけど、皆が皆そうではなかったろうに…
家族との別れの重みも、今日の自分とでは比べることすら出来ない。
それから比べると今の自分は、成功を求めて自分の意思で今の環境に身を置いている訳だし、悲観する必要はないんだろうな。
今の地位、今の待遇に執着する結果、失敗に恐れを感じている。
パフォーマンスを発揮する為にも、努めて楽観視するようにしないといけないんだろうな。